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日本の体力作りは自給から! 1/2
2007年4月16日(月)09:13[ ブログコミュニティ ]
地球温暖化、2020年問題を始めとして人間を取り巻く状況は、人口・経済ともに成長や拡大から現状維持ないしは縮小に転ずる局面を迎えつつあります。持続可能な経済成長という言葉がよく使われますが、それ自体がありえないことであり、一種の言葉のマジックであることは充分に伝えられていません。

また、日本には高齢化と人口減少の最先端に位置するともいえる「限界集落」が存在しており、「集落保存か、集団移転か」「移転後に処分場を誘致するべきか否か」という議論もあります。先ごろの能登半島地震で被害が大きかった場所には13の限界集落が含まれています。(読売新聞参照)この集落も地震被害で集団移転が宙に浮いた状態になっています。

いろいろな現象がシンクロニシティを伴なって「現代社会そのものの限界」を露呈し始めています。この局面をソフトランディングさせる魔法はどこにもありません。しかし、大量消費社会というお伽噺は確実に終わります。その限界を迎えた社会モデルを超えて、つまり成長神話を打開して、日本に生きる人間はどのような未来を描くことができるのか、そしてその未来像を踏まえて実行可能な行動計画を立てることが急務です。

本日は、リンク先のブログ【極楽】chapter2 から senang さんをお迎えして第7回ブロガーインタビューを掲載いたします。日本での「未来的な自給生活のあり方」や、そもそも環境はどの程度の資源を持続的に提供することが可能なのかということを科学的根拠に基づいて算出した「環境容量」の存在、そして持続可能性を持たせるべきなのは経済成長ではなく地球環境であるという発想の転換、さらに未来的な自給に適したコミュニティのあり方についてお話を伺います。

−senangさん、よろしくお願いします。

senang
よろしくお願いします。

−senangさんは現在本職を持った上で、ご自身で自給的な生活にチャレンジしていらっしゃいますが、普通の感覚ではそんな不便でしんどいことをどうしてわざわざやる必要があるのか、という反応止まりだと拝察いたします。この自給生活は「エコやナチュラル志向」「昔ながらの自給自足」とは全く違うヴィジョンが隠れていて、今は小さな試みですが将来に向けて大河の一滴になる非常に重要な意義があると私は考えています。

今挑戦されている自給的生活の根底にある「現代版自給の定義」についてお聞かせいただけますか?


1.現代版自給の定義 「石油文明との決別」「自国内で資源を調達」
senang

では、まず最初になぜ自給が必要なのかという外的要因についてお話します。ご存知のように世界的には人口増加が続いており、このままいけば近い将来に食糧やエネルギーが足りなくなるのは明白です。地球規模では、資源不足以上に環境問題がかなり深刻化しています。特に、中国やインドの急成長が拍車をかけているような気がします。一方、食糧やエネルギーの大半を輸入に頼っている日本は、資源不足や環境問題の影響をダイレクトに受けるでしょう。早く消費社会に見切りをつけなければ後がないと思います。

今の日本は二者択一の岐路に立たされています。1つ目の選択肢は、これまでの消費社会を延長させて、人々の生活も国の体力も破綻してしまうこと。2つ目の選択肢は、輸入に頼るのをやめ、自国内の資源を見直して持続的な社会をつくりあげること。つまり、自給できる国へ転向するということです。そんな背景もあって、僕はブログや実生活で自給の重要性を訴えているわけです。

自給とは「自分自身で生活に必要なものを確保する」ということで、一般的には野山や田畑で衣食住に必要な物資を得るといったイメージが根強いでしょう。それはそれで大事なことなのですが、現代日本における自給となると、かなりニュアンスが変わってきます。現代版自給とは、「石油文明との決別」であり、「自国で資源を調達」することです。

−石油文明との決別ですか。自国で資源を調達ができないから今の日本のシステムができたのだと鵜呑みにしていましたが、そもそも、「石油を使わねばならない」のではなくて、「石油が非常に汎用性をもった物質だった」「便利だから石油を使う」という文脈があったわけですよね。決別しなければならないほど石油にどっぷり依存した生活が果たして素敵なのか、生物として美しいのか、という問いかけが必要なのかなと思いました。

senang
まあこんなことを言っても、多くの人は実感が湧かないかもしれませんね。誰もがそこそこのお金を持っていて、おなかが空いたらコンビニへ行けば空腹が満たされるわけですから。漠然と「何となくやばいんじゃない?」と思ってはいても、消費社会のまっただ中にいると現実感がなくなります。「何か始めなければ」と考えても、買って捨てるという発想の延長では何も変わりません。大きな発想の転換が必要です。

−個人的には、「今のままではまずい」「価値観や発想を変えたほうがいい」と気づいている方はかなりの数いらっしゃると感じられます。そうは思っていても、自給とは程遠いところに住んでいるし、実際に何をすればいいのかわからないのが実情だというところではないでしょうか。まず最初に、大原則として認識するべきことがあれば教えてください。

2.我々は環境容量の中で生きている
senang

自給の大原則は「環境容量」を認識することです。これは、環境が生産できる資源や浄化できる排出物の量を指しています。例えば、1年間に収穫できる米や野菜は決まっていますし、木の成長も同様です。植物が吸収・固定できる二酸化炭素には限りがあります。川→大気→雨→地中と循環している水も無尽蔵ではありません。

我々地球上のあらゆる生物が生存していくためには、この環境容量の上限を超えない範囲で生きる必要があります。平たく言えば、限りある資源の中で持続的に生きるということです。資源を収奪してしまうことなく、将来にわたって残していくことが不可欠ですので、環境容量の範囲内で生存に必要な資源の量をうまく調節したり活用したりしながら暮らしを組み立てることが重要になります。

−日本の環境容量が算出されたことはあるのですか?

senang
日本のポテンシャルを厳密に計測したものはないと思います。かわりに、日本の農地と山でどれだけの人間が養えるのかという大雑把な計算をしてみました。日本の全農地で賄える食糧は約1億2千万人分で、ほぼ現在の人口に等しくなります。ところが、エネルギーをバイオマスから得るものと想定すると、里山エリアで供給できるエネルギーは約1千万人分。里山だけに限らず全ての林地を使用しても4千万人弱にとどまります。これが日本の環境容量というわけです。

日本人は自国の環境容量をはるかに超えて増えてしまいました。今、いきなり自給率100%の生活をしろと言っても無理があります。そこで、人口を適正規模までもっていくことと自給率を高めることを同時に実現させる必要があります。

国は、日本の人口が2050年に約1億人、今からほぼ100年後の2100年に4千万人〜8千万人程度になるという予測を出しています。これから資源枯渇は確実に起こるでしょう。なので、今後100年のうちに貧困や暴動を発生させず、人口を数千万人に抑えながら、自給率が100%に近づく社会を実現させることが理想的なのかもしれません。

−日本の人口は2100年には今の半分から三分の一になるという予測ですか。具体的な数字を伺うと、人口減社会に向けて抜本的な社会システムの再構築と循環型社会の経済モデルをヴィジョンとして提出する必要性を痛感します。しかし、100年後にもし日本の人口が4千万人になるとしたら、エネルギーの環境容量に見合う部分まで自然の大きなサイクルの中で人口が調節されるという見方もできますね。

この長期的な予測を踏まえて始められた自給生活で今の時点でわかったことがあればお聞かせください。


3.草の根の自給生活から見えてきたもの
senang

僕は理屈が立てば実行したい性分なので、昨年の秋から空き家を借りて自給的生活を始めました。大袈裟に言えば、世帯レベルで「石油文明との決別」と「資源の調達」に取り組み始めたわけです。

我が家の周囲には家がないかわりに、食糧やエネルギーを得るための農地と山がたくさんあります。ただ、住み始めて半年ですので、食糧の栽培や収穫はこれから本番ですし、完全な自給自足を実現しているわけでもありません。

資源の調達という点で考えると、冬の間は薪の確保に明け暮れました。我が家はストーブと風呂を焚くために大量の薪が必要なのです。ざっと計算すると、年間に20立方メートルくらい使います。また、それに伴って細々した作業もたくさんあります。

そんな生活の中で最も実感したのは、「自給とはマルチワーク」であるということです。世帯単位というミクロな自給だと、あらゆることを家族がこなす必要があります。分業化ができないのです。例えばストーブを焚くこと1つ取ってみても、木を伐って薪にする、薪を運ぶ、ストックする小屋をつくる、部屋の断熱効果を高めるなどが必要で、これら全てをこなさなければなりません。

−徹底的な分業をシステム化した現代社会の中の個人とは対極の生き方ですね。そしてそれは長年自然と共生し時には対峙してきた人間の歴史を見るような感覚になります。マルチワークと分業の違いについては何かお気づきになりましたか?

senang
次に感じたのは、「少人数の自給は逆に資源効率が悪い」ということです。1人でも4人でも、ストーブを焚いて暖める部屋の大きさや沸かす風呂水の量は同じです。春から秋にかけては野菜をつくる予定ですが、1人分の野菜も数人分の野菜もかかる手間に大きな違いはありません。

さらに、自給のために必要な作業をこなす時間がかかります。生活を維持するために費やす時間がどうしても多くなるわけです。少人数だと資源効率が悪いうえに、「1人あたりにかかる時間も多くなる」ということが言えます。僕は平日に朝から夜まで働き、休日に生活のための作業をこなすというサイクルで動いています。子供たちのための時間も確保したいので、今のサイクルではなかなか十分なことができません。十分な作業ができなければ生活がおぼつかなくなりますから、時間のなさは余裕のなさとなって焦りが生じます。気持ちが焦ると楽しさが消え、暮らしそのものが重荷になってしまいます。

そんなわけで、家族や個人の単位で自給的生活を送ることには限界があるということを学んだわけです。特に最近では、独居の高齢者、一人暮らしの方、少人数の世帯などが多い状況を考えると、日本では自給的生活の核に世帯を想定することに無理があります。

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ビューティーポータル美市美座
日本の体力作りは自給から! 2/2
2007年4月16日(月)09:12[ ブログコミュニティ ]

−ということは、自給自足は家族や世帯単位の牧歌的な田園生活という旧来のイメージとは異なりますね。資源効率をあげるためのアイデアはお持ちでしょうか?

4.新たなコミュニティで自給圏域をつくろう
senang

個人や世帯の単位で自給的生活が難しいのであれば、複数の家族や個人がコミュニティをつくる方法があります。

これまで、里山エリアでの生活は集落という地縁コミュニティが担っていました。集落には資源を保全したり活用したりするための規制や知恵がたくさんありました。しかし、山が使われなくなってきた現在、集落内部の取り決めは無効化しつつあります。なのに、意志決定システムは旧来のままで、時代にそぐわなくなってきました。

現代社会で自給を実現するためには、地縁型の集落に替わる新たなコミュニティが必要です。それは、同じ目的や考え方を持つ者によってつくられる目的縁コミュニティです。例えば、自給的生活を送ることを共通の目的として、薪を確保するために複数人が集まって集団で作業をする、遠方の都市部に住む人が里山の管理をマネージメントする、資源を得るために資金を投入する、燃料用の作物を栽培するために専門家がアドバイスするなどが考えられるでしょう。自給を目指す新たなコミュニティは、多様な人材の集合体であり、異業種の連携もあり、個々の意志を尊重することによって成り立つものだと考えています。

−持続的なプロジェクト・チームのようなイメージですね。そこに採算性が出てくると自給と循環をコアにした経済システム−ここには今の地域通貨のようなものを導入しても面白そうですが−本格的に地球の環境容量に根ざした実体経済をリンクさせることができそうです。

senang
一定の圏域をベースに、そのような目的縁コミュニティが立ち上がると面白いかもしれません。地縁や目的縁など多様なコミュニティ・レイヤーが複層的に折り重なっていることで、自給を実現する基礎体力を高めることになります。
現代社会では物流が発達していて、遠方の資源を気軽に入手できます。しかしこれは、石油を大量に使う輸送手段によって実現しています。石油文明と決別する過程においては、輸送にかかるコストや労力を極力排除することも重要なことです。

そう考えていくと、自給の最小規模が何となく見えてきませんか?多様な人材が存在し、里山や里海や中小都市がパーツとして含まれるくらいのエリア設定が、第一次の自給圏域となるのかもしれません。

地方行政の単位も、そんな自給圏域を結んだりブロック化したりして成り立たせることが現実的でしょう。資源的に自立したスモール・オートノミーというわけです。最近話題になっているコンパクト・シティも、このような圏域設定に基づいて構築すれば説得力のあるものになるでしょう。

そのうち、中央集権体制が実質的に崩れ、圏域の自給能力イコール行政の力量と判断される時代になるのかもしれませんね。そして、圏域単位で自給率が100%を超えたら、他の圏域へ効率よく輸送することを考えます。圏域それぞれには食糧やエネルギー源のストックヤードを設け、ハブとなる物流センターが新たな産業として発達することになるでしょう。

これからは、そんな自給圏域を国づくりの基本ユニットとすべきです。そして、自給圏域がクラスター(花やブドウなどの房)構造になって国全体を形成しているという構想を描いてみると、国土形成の力点が見えてくるのではないでしょうか。

−今のお話を伺っていると、地方分権と小さな自治がリンクしてその集合体が小さな政府を作ることができると感じました。また、自給という形で国土に手を入れることにより美しい景観が作られると同時に美しい景観を持つ里山や里海が兵站基地としての機能を持つようになりますね。ここでLandscape(風景)とLogistics(補給)が両立する国レベルの自給を仮に「Landscape
Logistics」と命名させていただきます。


5.生き方のキーワードは「持続する環境」
senang

面白いですね。自然景観を整えることと資源を生産することを両立させることには「環境容量」がキーポイントになります。自給圏域を基盤とした国づくりでも、環境容量に則ったマスタープランが重要です。国内の資源を野放図に収奪しないために、環境容量の範囲内で適正な資源配分を行うことが公共機関の役割になるでしょう。自給圏域単位でも、国単位でも、「持続する環境づくり」を新たなルールとして意識することが必要になってきます。

−今、ご指摘の「持続する環境」というのはとても重要だと思います。現時点でのすべての環境政策は「持続可能な成長」であり「持続可能な発展」です。この二つはどちらも人間を中心において貨幣経済の側からどこまで収奪するかという発想があります。つまり、破綻の引き伸ばしでしかない。

それを「持続する環境」に置き換えることは「まず自然を中心に置く」ことになり、その自然に見合った経済活動を行うという180度の転換になります。つまり、調達できる範囲での活動という上限がおかれますね。


senang
持続する環境づくりについて、少し視点を広げて考えてみましょう。自然との共生や共存という言葉はありますが、今の人間は自然や地球にとって益になる存在ではありません。共生どころか寄生であるとさえ言えます。共生や共存は、人間が積極的に環境を守って始めて成り立ちます。人間の活動によって地球が壊されないことが保障されなければなりません。

その方法の1つとして、自給圏域の外側のゾーンを人間の活動の影響を受けない場所として維持することが考えられます。そこは野生の場所であり、地球本来の場所というわけです。言い換えれば、地球上で人間が生活する場所をわきまえることでもあります。

−いわゆるサンクチュアリですね。動物保護区=野生の場所は動物の領域として人間の生活圏とはっきり線引きする。大賛成です。

senang
人間は地球の支配者ではありません。開発に明け暮れた20世紀は、そのことを忘れてしまったために、取り返しがつかないほど地球を壊してしまいました。人間が奢りを持たずに地球に住まわせてもらっていることを忘れないためにも、自給圏域以外は手つかずの場所として残しておくことが必要だと思います。
持続する環境を考えることは、自分の都合だけで物事を考えるのではなく、自分のこと以上に周囲に対して配慮することでもあります。周囲の環境がなければ、自己の生存すら成り立ちません。他者あっての自分です。自給を目指す思考と実践が、そんな精神論にもつながっていけばいいなと願っています。

−精神論というと実体がないものと思われがちですが、自給を真ん中に置く事で心身一如になり、強い意志と高い精神性の涵養につながるのではないでしょうか?

今、自給圏域についての実験的な試みを計画されているということで、それをとても楽しみにしています。概略についてお聞かせいただけますか?


6.自給テーマパークの試み
senang

ここでまた、理屈が立てば実行したい性分が頭をもたげつつあります。今年中くらいに自給圏域を立ち上げるための初歩的な試みを始めようかなと考えているところです。

まずは自給をテーマとした目的縁コミュニティの立ち上げです。現場で農業や山管理をしている人の他に、自給に興味を持っている人や問題意識の高い人などを募ります。勿論、都市部に住む人も大歓迎です。それぞれが役割分担をして、資源の手入れ・ストック・分配を行います。食糧の自給は、現行の農業のスタイルを少し変えることで比較的実現しやすいと思います。

ただし、現代の農業は機械がなければ耕作ができません。石油がなければ農業が成り立たないというわけです。それでは本末転倒なので、食糧確保より先にエネルギーの確保を優先しなければならないという考えに至りました。

−エネルギーについてはどのようなものを使用される予定ですか?

senang
最近は、EDF(エコディーゼル燃料)100%で動く車が開発されています。サトウキビなどからエタノールを精製してガソリンに混ぜることも実用化されつつあります。そんなバイオマスエネルギーが本格化してきた一方で、砂糖と燃料の取り合いが起こるなど新たな問題も生じています。

日本は米づくりが盛んな国です。そして、米から酒を醸造すること、つまりアルコールを精製する技術に長けています。杜氏さんによると、米1升に対して純度95%のエタノールが4合(720g)精製できるとのことです。そこで、米をたくさんつくってアルコールを醸造し、これを燃料にできないかと考えました。アルコールを取るなら、米の他にキクイモなども有望ですね。草丈が高いから、ある程度まで育てば草刈りをしなくてもよくなります。また、景観を考えると、ナタネやヒマワリなども面白いかもしれません。

−ここで、前回のインタビューでお話いただいた「限界集落は未来へのフロンティア!」という構想が活きてくるのですね。

senang
そうなんです。そんな試みを実践する場所として、僕は耕作放棄地が大量に出ている限界集落に着目しています。限界集落で谷を丸ごと借りて徹底的に手入れをして、減反政策には応じず、政策は後からついてこいという勢いで米をつくりまくる。

−温暖化が進むと、現在の良食味早場米産地である九州や四国などの地域が稲作適地ではなくなり、北へ、具体的に言うと北海道にシフトするという調査がありますね。先の自民党総裁選では麻生外務大臣が北海道遊説で言及しておられました。そうなると、食糧米からエネルギー米への転換もぐっと現実味が増してきます。食味よりも収量重視で管轄も農水省と経産省が連携して、グリーンエネルギーを生産するというシナリオもありそうです。

他にはどのようなことを考えておられますか?


senang
可能であれば手入れ時に焼畑をしても良いですね。焼畑からは様々なことが学べますし、火の扱いを通して人間と自然との関係を再認識することもできます。縄文の技法を今に復興させながら、22世紀的ライフスタイルのモデルケースとして展開していく予定です。あとは風と水などから効率良く電気を発生させる発電機が開発できれば万全です。技術の進展を待つと同時に、電力を浪費しない暮らしも重要ですね。

−22世紀的ライフスタイル、ジュール・ヴェルヌのような予見力と、自然と人間の関係を見直すルネッサンスのようですね!未来に生きる縄文人のたましいを感じます。

senang
僕は未来は決して八方塞がりではないと考えています。誰にでもその人にだけできることがあります。僕は常に楽観的で実行力がある法螺吹きが時代を拓くんじゃないかな、と思っています。自給テーマパークが「楽しそうだな」と思われた方は、ぜひ一緒に考えてみませんか?

−自給テーマパークはいいですね。面白いことをトライアル&エラーで試せるのは今しかないと思います。やっぱり、地球と対話することって大切ですよね。足元に未来がある。そう思うと元気が出ます。そして「誰かがやる仕事はだれもやらない仕事」という言葉を思い出しました。本日は、厳しいけれど楽しいお話をどうもありがとうございました。
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2020年を超えて−先人に学ぶ
2007年4月15日(日)08:38[ ブログコミュニティ ]
不都合な真実が大ヒットしてご機嫌なのか、次の大統領選への存在の誇示なのか、その真実は藪の中でありますが、アル・ゴア前米副大統領がなんと、「温暖化防止を訴えるために」大量の電力を使ってコンサートを主催するそうです。
マドンナやポリスらが温暖化防止に一役−ゴア氏のコンサートに参加へ
阿漕な宣伝ですね。どうして、この方は「僕たち使うだけ使って説教する人、君たち鵜呑みにして節約しなきゃ生きられない人」という発想から離れられないのでしょうか。

つまるところは、このようなメンタリティは害悪だと私は考えています。自分は高みの見物で、サバイバル・ゲームを主催しているのと何が違うのでしょうか。率先垂範という言葉があります。自ら手本を示して、それを他の模範とするという真の教師であり上司であるといえるでしょう。指導的な立場にいる人間が、「自分達だけは今のままでも大丈夫だ」と考える時、その個体群が恐竜に見えるのは錯覚でしょうか。

世界中の誰もがアメリカ並みの生活をしたい。そんな成長至上神話に基づく「20世紀的価値観」に覆い尽くされた地球は、もう既に滅びています。どのようなデータを見ても、今と同じレベルのエネルギー消費は続けられないと明示されています。しかし、それが政治利用された途端に、胡散臭い生き残りゲームの道具にされてしまうのはおかしなことです。

今ここにいる人間には、次の世界への橋をかけるために、この世界を少しでも美しくするために全力を尽す義務があるのだろうと思います。膨大な電力を消費して地下室に温水プールを作っている人から、「地球温暖化」についてご託宣を受けるいわれはありません。むしろ私には、ネイティブ・アメリカンの声に耳を傾けるべきだと感じられます。アル・ゴアの言行不一致に振り回されるより、地球の先人であるネイティブの声がひとりでも多くの方の心に届くことを願っています。

そんな珠のような智慧がいっぱいのブログ、Kitayama "Smiling Cloud" Kohei(北山耕平)さんのNative Heartをぜひ訪ねてみてください。画面で見るだけで、ブログコンセプトの「地球での生き方を学びなおす探求の旅」が体験できます。おしゃべりな政治家には真似すらできない、胸の奥にずしんとこたえる、先人の重みが伝わってきます。それは、私達の先祖が経験した自然との共生の記憶を呼び覚ますような、懐かしい衝撃でもあります。

環境問題を語るときに人は無意識に「地球が変わった」と簡単に言います。しかしそれは大きな間違いです。地球は46億年に渡ってずっと変わらずに回転しつづけています。変わったのは、人間であり、人間の行動です。環境問題は、人間が欲望を無制限に解放したことが真の原因です。つまり、環境問題は人間の欲望の問題なのです。

好むと好まざるとに拘らず、消費社会は終わります。消費社会の欲望だけに生きる人にとっては世界の終わりに等しいでしょう。しかし消費社会が終わることは絶望ではありません。絶望して思考を放棄することが惨劇につながり、その惨劇の予感がより深い絶望を生むのです。

見方を変えると、消費社会が終わる時は、新しい世界のはじまりでもあります。それは、人間の意志と全ての生き物がバランスの中で共生を探る道程の始まりです。次の世界を開くための終わりは、始まりの息吹でもあります。現代社会に住む私達の夜を明るく照らす化石資源が、恐竜時代がもたらした地球の賜物であることに感謝しつつ、これからの社会のあり方を、つまり意志的な共生社会のヴィジョンを地球の先人に学びながらひとつひとつ描き出していきたいと私は考えています。

100年後の世代のために私達ができることは、まだまだたくさんあります。

マドンナやポリスらが温暖化防止に一役−ゴア氏のコンサートに参加へ 記事全文

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2020年問題をご存知ですか? 1/2
2007年4月11日(水)13:05[ ブログコミュニティ ]
「持続可能な社会って、どんな社会?」「持続可能な社会を作るパーツを集めて、組み立ててみるラボです。」というコンセプトを掲げたサステナ・ラボという持続可能な社会を構築するための実践策が豊富に提案されているブログがあります。3月31日付けの命の織り物という記事の中では「2020年までに元気な日本を創る会(みんなで元気な人になろう!会)」の合宿が取り上げられています。

なぜ、2020年までに元気な日本を創る必要があるのでしょうか?
答は、そこにデッドラインがあるからです。


2020年の危機といわれるものが存在しています。もともとはローマクラブが発表した成長の限界を迎える地球のターニングポイントです。耕地面積の増大を上回る人口の増加により、このころ地球が人類を支えきれなくなるとされていました。国連も、2025年ごろに深刻な水不足が訪れるとみています。

これに先日発表された国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」から地球温暖化が長期化した場合の報告書に記載された要素も加わってきます。猶予はわずか13年です。さらに、ショッキングな情報もあります。人口が100億人を突破すると2050年にはカタストロフィックな状況に陥り、急激に人口が減少する局面に突入するという調査結果があります。

しかし、本当に人口減少だけなのでしょうか?私はそれを鵜呑みにする気にはなれません。人類の文明そのものが存亡の危機を迎えていると考えています。このまま贅沢な消費文明を続けていたら、現代文明の中の人類は確実に滅亡します。「特別な人」「支配層」だけが生き延びればいいのでしょうか?商業主義にまみれた「ロハス」が解決できるのでしょうか?

それほど状況は甘くはないのではないでしょうか?誰が、昨今の40℃を越える猛暑やいわゆる爆弾低気圧による突風や竜巻の発生や今年の暖冬に象徴される気候変動を予測していたでしょうか?人間は、自然のことを何も知らないのに侮りすぎている。つまり、現代人は「消費社会というバベルの塔」に住んでいるのと同じです。

汲めども尽きぬ資源を前提に消費し尽くす生活様式は破綻に直面しています。たくさんの人間が、たくさんの動物が、生きていけなくなるでしょう。消費社会が生み出す弊害が、これ以上「生物の居住環境」を脅かさないために、今、共同幻想=現実を変えなければ間に合いません。それができる人だけが、温暖化後の地球の自然と共生することができます。

地球温暖化が本当に二酸化炭素だけが原因なのか、太陽活動が活発化したという大きな視点での外的要因によるものなのか、それは解明されていません。また、地球の長い歴史は変動の歴史でもあります。もともと我々が生存に必要としている酸素は地球の最初の生命にとっては毒でした。もう少し短いスパンで見ても寒冷期と温暖期、氷河期と間氷期が繰り返されてきました。

人間は、地球の支配者でもなんでもありません。地球由来の物質でできた地球の産物です。そしてその地球の産物が大量絶滅で周期的に入れ替わってきたという事実があります。人間は、仮初に形を与えられて地球の養い子として一定期間だけ存在しているに過ぎません。その人間が増えすぎて、人間が消費するエネルギーが増えすぎた。すべての問題はそこにあります。

なぜ、価値観を変える必要があるのか、以下に識者の意見を引用いたしますので、じっくりと噛み締めてご一読いただければ幸いです。

地質情報整備活用機構(GUPI)
第7回GUPIシーズ放談会
 12月19日(火)東京工業大学大学院理工学研究科地球惑星科学科丸山茂徳教授によるシリーズ企画「人類史10の物語−21世紀地球惑星の時代−」の第1回が開かれました。

 前半は「異説地球温暖化」というお話でした。巷ではCO2増加に伴って既に地球温暖化が始まったかのように喧伝されているけれど、その科学的根拠は極めて疑わしく、地球史に照らしてみれば、現在は逆に寒冷化に向かっており、いつ起きてもおかしくない状況にある、もっとも急激な寒冷化の時期には50年で7℃も下がった例もある、アーリア人やモンゴル人の民族大移動のような過去の例を持ち出すまでもなく、寒冷化は食糧不足に直結しており、社会の不安定化につながるから、それへの備えが急務であるといった内容でした。

 後半は「2020年問題」です。かつてローマクラブが成長の限界を打ち出したが、事態はほぼその予測の通り推移している、人口の爆発的増加と化石燃料の急激な消費とは逆相関しており、その曲線が交わるのが2020年である、というお話でした。また、ローマクラブ当時顕在化していなかった化学物質による環境汚染も人類の将来に暗い影を投げかけていると警告されました。ヨーロッパなどではEU2020などと対策を講じ始めているのに、日本は、のほほんとしていて良いのだろうか、と問題提起され、次回へとつながれました。( GUPI News Letter No.44 2006年12月26日から引用 )
「縄文の心」取り戻そう 安田喜憲 国際日本文化研究センター教授
2005年12月29日付読売新聞
「欧米型」限界に
 子供を相手にした凶悪な犯罪が頻発している世相をみると、社会全体が他者の命に対する畏敬の念を失いつつあるように思える。
 日本人は古来から、森や水を大切にし、他者を思いやり、自然とともに生きてきた。そのルーツは、縄文時代にある。現代の日本は欧米の文明に覆われているが、その底には、いまも変わらず縄文の心が流れている。この心を、いまいちど取り戻す必要がある。 この縄文の心は現在にいたるまで、さまざまな外からの風を受けてきた。科学技術文明との関係でも、江戸時代以前は中国の、そして明治は西欧、戦後は米国の影響を強く受けた。しかし、その時々に遣唐使廃止や鎖国といった方策で、日本独自の文明に立ち返る機会をもってきた。縄文の心を見つめなおすことは、今でもできると思う。
 欧米の文明は畑作牧畜型だ。今から1万年ほど前、最後の氷期を脱していたメソポタミアは寒の戻りで気候が寒冷化した。森の食糧が不足した人々は、そこを出て、麦を作り家畜を飼うようになった。過酷な自然に人間が対抗する文明だ。
 だが、その同じころ、日本列島は温暖になり、広葉樹林の恵みと魚を糧とする生活が始まった。豊かな森にいるかぎり、必要以上に食糧を蓄え、他人の糧を奪い取る必要はなかった。文明は、そしてそこに生きる人の心は、自然環境に大きく左右される。この縄文の心が、1万年ものあいだ、日本人に流れてきた。
 第2次世界大戦の敗戦で、日本人はこのすばらしい文明に対する自信を失い、欧米の文明に従っているようにみえる。それがグローバルな生き方だと考え、価値を置こうとしている。
 縄文の心は、やすらかな日本の社会にとって必要なだけではない。
 森で木が成長するのに長い時間がかかることからもわかるように、自然環境でのエネルギーの流れは、とてもゆっくりしたものだ。これを急激に人間が奪って利用する欧米型の文明は、資源の枯渇に人口の増加で近い将来、限界を迎えるだろう。それが2020年の危機だ。
 地球上の文明が滅びないよう、なんとか軟着陸させる方法が模索されてきたが、最近、中国の欧米化を見ると、2050年ごろに現代文明は滅びてしまうのではないかと心配だ。
 科学技術は、目前にせまる文明の危機に対処する研究を優先すべきだ。目先の利益を重視する欧米型の技術開発では文明を救えないだろう。
 湖底の堆積物から得られる「年縞」という水平の縞模様を調べると、過去の地球に起きた気候変動は、変化の仕方が非常に激しかったことがわかる。環境の変化で文明が滅びるとき、そのスピードは速い。

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2020年問題をご存知ですか? 2/2
2007年4月11日(水)13:02[ ブログコミュニティ ]

他者への思いやりを
 懸念されている地球温暖化のような激しい自然環境の変化に直面したとき、どんな文明が滅び、生き残ったのはどんな価値観の文明だったのか、を過去から学ぶことが急務だ。自国の経済発展だけを念頭においた科学技術政策にこだわっている余裕はない。
 地球環境の破壊はグローバルだが、それが人々の生活に与える影響は、極めてローカルなものだ。このローカルな視点があって初めて、解決すべき問題が身近な人肌感覚でとらえられるようになる。いまや市場原理がグローバルな価値を持ってしまっているが、これにローカルな視点を加えた独自の「グローカル」な発想を持たないと、文明の危機は乗り越えられない。
 2020年すぎに現代文明が危機を迎えることは、各国の知識人などで作るローマクラブも指摘しているが、これは畑作牧畜型のモデルによる発想だ。これを、自然との共生を底流にもつ東洋型モデルからの発想に代えられるなら、現代文明は滅びずにいられるかもしれない。
 稲作と漁労に象徴される共生型の生活様式をもつアジアが「アジアユニオン(AU)」を作り、EUに対抗するのも方策だ。
 欧米型の文明のなかで背伸びすることに疲れ、心まで失ってしまったような今の日本社会は、はたして健全なのか。背伸びをやめた時、そこにすばらしいものが見つかるかもしれない。
 縄文の文明は、他者に対する優しさや思いやりを本来の姿として持っている。そのような文明こそが生き残っていくのだと世界に示していくことが、これからの日本に課せられた大きな役割だろう。
また、東京大学大学院の松井孝典教授は「地球・生命そして文明」という講演の中で2020年問題を克服するためには、新しい内部モデル=共同幻想が必要だと述べておられます。
地球環境問題は、価値観を変えないとダメな問題なのです。
 もう一つは先ほど言った、我々は外界を脳の中に投影して内部モデルをつくるという能力があるということです。この二つがあるために、農耕を始め、たくさんの人が共同体を作って住むことができるという、今の我々の生き方ができるようになったのです。現生人類は非常に特殊といえます。それで、宇宙の果てまで、投影する世界を広げて、いろんなことを考えるようになった。一方で、あまりにもたくさんの人がたくさんのエネルギーを使い、いろんなことを始めたために、地球という星全体の中で人間圏が肥大化してしまった。

 そのために、地球システムからの人間圏への物の流入が抑えられるようなことになりました。2020年には、ひとり頭のいろんなもの、今までは右肩上がりできたものが、全部減るようになるだろうといわれています。水、食料、石油、あらゆるものがそうです。

 これを称して、文明の成長の限界とか、2020年問題とかという言い方をします。右肩上がりで成立しなくなるその時に、我々が脳の中に、どんな新しい内部モデルを作れるか、内部モデルというのは、実は共同幻想なのですが、その新しい共同幻想をつくれるかというのが重要です。これがつくれるかどうかというのが、地球環境問題を考えるうえで非常に大きな問題になると思います。
さらに、生物多様性研究会が主催する勉強会での、丸山茂徳 東京工業大学大学院理工学研究科地球惑星科学教授の講演をグローバルネットがまとめた記事の中には以下のようなことが述べられています。
2020年に成長の限界か?
現代は6番目の大量絶滅時代
 いろいろな研究を進めていくと、地球の将来が見えてきます。地球の海水は永遠ではありません。地球の海水の量は、ある時代まで増えてきたわけですが、あと10億年くらいたつと海はなくなります。火星と同じ状態になります。その時が生命の終わりということになりますが、そういう生命の歴史の中で、環境の不連続的な変化が何回も起きました。例えば生物の大量絶滅と同時に新しい生物の旅立ちという生物の入れ替わりが、過去6億年の間でも5回起き、現代は6番目の大量絶滅が起きていると言われます。

 実は地球の温暖化は、結果であって原因ではないのです。太陽は11年周期で、黒点の数が増えたり減ったりします。あの黒い点は低温ではなくて、実際にはものすごい大爆発です。大爆発のフレアのサイズというのは地球のサイズの何十倍にもなる。それぐらいの巨大な爆発が起きると、地球には11年周期で大量のエネルギーが降り注いで、暖かくなる。黒点の数が非常に減った17世紀にはテムズ川が凍りついた。

ヨーロッパで真剣に議論されている2020年問題
 ヨーロッパでは「EU2020」や「ジャーマニー2020」など、2020という数字をつけた国家的なプログラムが動いています。日本は鈍感です。

 すべての問題の原点は世界人口の増加にあります。100年前に17億人だった人口が今は64億人を突破しました。この異常な増加が永遠に続くのかというと、それは不可能です。これが2020年問題の本質です。

 一言で言うと、過去1万年に経験したことのない未曾有の時代がやって来ます。人口の異常な上昇が永遠に続くことはありません。食糧がなくなるからです。減少に転ずる必要があって、そういう人類史上の初めての転換点がやって来るということです。

 そこで、世界人口の計画的な適正化をどのように進めるかということと、地球の化学環境の体制が重要になります。これら2つを、2020年までにスムーズにソフトランディングさせなければいけない。ほんの唯一の可能性として、21世紀というのは科学が新しい段階に入って、予測と制御の時代になりうるというのが希望です。

 資源の減少と人口増加の曲線の交差が起きて、大変な時代になると予測されるのが、2020年問題です。科学が進歩してその全貌が見え始めたのです。2020年まで残された時間はあまりありません。
また、中部大学工学部機械工学科 非常勤講師 隅田勲氏はHPの一つの予測から探る21世紀のエネルギー危機で緻密なデータに基づく非常に重要な提言をされています。
20世紀までは世界のエネルギー消費の規模が小さく、高い経済成長率を続けても問題になりませんでしたが、21世紀には、経済規模は極めて大きくなり、付随してエネルギー消費量も膨大になって食糧供給量や資源量が限界に近づいてきています。また、これに伴って社会の変化は一層早くなり、これらのエネルギー資源と地球環境あるいは人口問題を共に解決するために残された時間は非常に少ないと言えます。

初めに述べたように我々の抱える食料、経済、環境、福祉の問題の多くはエネルギーさえあればかなり解決できるはずなのですが、予測の結果から見える21世紀のエネルギー問題は非常に深刻です。一方、世の中では持続可能な経済成長が実現可能な目標として論じられ、経済性のためにはエネルギーを大量に使うイベントが次々と企画・実行されており、危機感は今ひとつありません。これでよいのでしょうか??

しかし、これまで見てきた予測結果からは

(1)とにかく化石燃料消費量を大幅に減らすこと
(2)大量の供給が可能な経済性のある新しいエネルギーを導入すること
(3) (1)(2)を短期間に実現すること

が必要です。勿論、その前提として
○技術があっても、経済性のないものは使われない。
○新しい技術が有効なエネルギー量を供給するようになるには数十年が必要。
であることをつねに考慮する必要があることは言うまでもありません。

 即ち、今回の予測は“2030〜2050年頃に食糧、環境、エネルギーの問題から地球の経済は破局に近付く可能性が高い”ことを示しています。

破局をわずかでも遅らせたり緩和したりするための方向性と具体例

(1)化石燃料を使わない新しい社会システムを構築する
 (a)人間の出来ることは人間がやる(ライフスタイルの変更)
 (b)作ったもの、出来たものはとことん大切に使う。(製品の長寿命化とリサイクルシステム)
 (c)情報システム技術の徹底利用?→新しい内部システムの構築

(2)結局、個人の活動にかかっている(地域における活動と全員参加)

(3)非石油エネルギーの大量導入を急ぐ(目標を持ったエネルギー開発)
 (a)実績ある古いエネルギー技術の復活
 (b)経済性のある未利用エネルギーの発掘と導入
また、最近北極圏の氷の流失や氷河の消失などとリンクして温暖化による海面上昇についても懸念が深まっています。海面上昇による被害は遠い南の島のこととして捉えられがちですが、日本の海岸線に大きな影響が及ぶことが予測されています。
ストップ・ザ・温暖化キャンペーンのHP
気温上昇により南極などの氷がとけることで数メートルの海面上昇が予測され、ツバル、モルジブなど数十カ国で国土の大半が水没することも警告されています。

日本でも海面がおよそ1メートル上昇するだけでも砂浜の8割が消えるばかりでなく、水没域の東京、大阪など都市部を中心に90兆円の資産が失われるなど、大きな被害を受けることが予測されています。
seaLevelRise_400.gif
ストップ・ザ・温暖化キャンペーン 海面上昇 から引用
(http://www.stop-ondanka.com/state_earth/sea_level_rise.php)
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澤山りな (07/15)


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